東京高等裁判所 昭和57年(行ケ)13号 判決
(争いのない事実)
一 本件に関する特許庁における手続の経緯、本願発明の要旨及び本件審決理由の要点が原告主張のとおりであることは、当事者間に争いがない。
(本件審決を取り消すべき事由の有無について)
二 本件審決は、次に説示するとおり、相違点(1)及び(2)についての認定判断を誤り、ひいて、本願発明は、第一引用例ないし第四引用例及び周知慣用の技術から当業者が容易に発明することができたとの誤つた結論を導いたものであり、違法として取り消されるべきである。
1 前記争いのない本願発明の要旨に成立に争いのない甲第五号証(本願発明の特許公報)を総合すれば、本願発明は、セラミツク酸化物より本質的になる切削植刃に関するもので、焼結セラミツク酸化物(酸化アルミニウムなど)の切削植刃には、マクロかつミクロスケールでの強度(強靭性ともいう。)が要求されるところ、セラミツク酸化物(焼結成形体)の切削植刃は耐クレータ性又は間隙面の摩耗に対する抵抗性が特に良好とはいえず、この点の改良には、セラミツク酸化物の粒子の大きさをできる限り小さく作ることと粒子相互又は他の材料との強力な結合が必要であり、これには高温での焼結を要するが、この両条件を合致させることは、良好な接合又は結合のためには高い焼結温度を必要とするところ、そのようにすると粒子の大きさを増大させることになるため困難であつたこと、したがつて、セラミツク酸化物(焼結酸化アルミニウムなど)の切削植刃が不満足な強度(強靭性)及び耐摩耗性となる重大な理由は、焼結の際にセラミツク酸化物の粒子の大きさが増し、切削植刃を構成するセラミツク酸化物の粒子の大きさを十分に小さくすることができなかつたことにあり、その粒子の平均の大きさの最低限界は約二μmであるところ、本願発明は、この問題の解決を課題とし、セラミツク切削植刃上に極度に小さい粒子の薄いセラミツク表面層を得るため、ガス相から付着させる方法(いわゆるCVD法)によつて粒子の大きさを一μm以下にすることを見出だし、前記本願発明の要旨の特徴を有する切削植刃によつて、その耐摩耗性及び強度を向上させたものであること、本願発明において表面層をガス相から付着させ、特に微細な粒子を得るには、粉末の形成が生ずるほど過飽和にすることなくガス中でできる限り最高の過飽和を有すること、あるいは、別の方法として、硬質炭化物及び又は窒化物例えばTiCなどの薄い極度に微細な粒子層の付着を中間工程として用いることによつて、非被覆の焼結酸化アルミニウム切削植刃に比し約一・五ないし二・五倍の鉄鋼及び合金鋼に対する切削使用寿命をもつ切削植刃を得ることができ(実施例2、同5及び同6)、優れた作用効果を奏するものであることを認めることができる。
2 他方、各引用例に開示された技術内容をみると、次のとおりである。
(一) 第一引用例に本件審決認定のとおりの記載があることは、原告の認めるところ、右事実に成立に争いのない甲第一号証(第一引用例)を総合すれば、第一引用例は本願発明の優先権主張の日前に頒布された刊行物であつて、それは、焼結酸化アルミニウムの基体にガス相から酸化アルミニウム被覆層を種々の条件下において付着させ、その付着状態を調査検討した学術論文であつて、切削植刃に関する記載はないことが認められ、その記載内容に徴すると、第一引用例から焼結セラミツク酸化物切削植刃にガス相からセラミツク酸化物表面層を付着させて耐摩耗性を増大させるという技術的知見を得ることは容易であるものと認めることはできず、被告指摘の第一引用例中の記載部分も叙上認定を覆すに足りない。
(二) 第二引用例に本件審決認定のとおりの記載があることは原告の認めるところであり、右事実に成立に争いのない甲第二号証(第二引用例)を総合すれば、第二引用例は、本願発明の優先権主張の日前に頒布された米国特許第三、六四二、五二二号明細書であるが、これに記載された発明は、基体材料の表面に硬質被覆を形成する方法に関するもので、同明細書には、減圧下でガス相から従来法より低温の九〇〇℃以下で炭化チタンを基体材料に良好に付着させる方法が示され、その実施例2には、焼結酸化アルミニウムの工作物(用途不明)に耐摩耗性と酸化アルミニウムと同等の硬度をもつ電導性の炭化チタン被覆を付着させる例、また、実施例4には、Cemented carbide(高融点金属の炭化物を主成分とする焼結合金、超硬合金)の切削刃に炭化チタン表面層を付着させる例が記載されているが、焼結セラミツク酸化物の切削刃に関する記載も、また、焼結セラミツク酸化物(非被覆)の耐摩耗性を増したものの記載もないことが認められ、右の認定事実によれば、第二引用例は、本願発明と被覆対象物品及び表面形成材料を異にし、焼結セラミツク酸化物の切削植刃の耐摩耗性を増大させるためにガス相からセラミツク酸化物表面層を付着させるという本願発明と同一の技術的思想を開示し、又は示唆するものとみることはできない。なお、本件審決は、セラミツク酸化物もCemented carbideも切削植刃として用いられることが従来より周知であることと第二引用例の記載に基づいて、セラミツク酸化物とCemented carbideとは切削植刃として均等材料である旨認定判断しているが、第二引用例には、前認定のとおり焼結セラミツク酸化物の切削刃に被覆層を付着させることを示しているものはなく、また、前認定説示の第二引用例の記載内容及び本願発明の前認定の効果に徴し、右両者を切削植刃として同効の均等材料とみるのは相当ではなく、したがつて、本件審決のこの点の認定判断は誤りというべきである。
(三) 第三引用例に本件審決認定のとおりの記載のあることは原告の認めるところであり、右事実に成立に争いのない甲第三号証(第三引用例)を総合すれば、第三引用例は、本願発明の優先権主張の日前に頒布された米国特許第三、七三六、一〇七号明細書であるが、これには、その発明の目的に関し、酸化アルミニウムの極めて大きい耐摩耗性とCemented carbideの比較的大きい強度及び硬度を合わせ持つた硬い耐摩耗性の材料を提供すること、実質的な強度の低下なしにCemented carbideの耐摩耗性を改良すること、及び強固な付着力をもつ良好な酸化アルミニウム被膜をCemented carbide基体上に生成する方法を提供することにあること、この目的は、アルフア酸化アルミニウムの厚さ一μmないし二〇μmの被膜をCemented carbide基体上に付着させることにより達成されること、酸化アルミニウムの被覆は、ガス相から付着させる方法で行うこと、この発明の製品は、酸化アルミニウムをベースとする刃物材料と実質上同等な耐摩耗性及び少なくとも一五〇〇〇〇Psi、多くの場合は二〇〇〇〇〇Psiより大きい抗折力を有し、ある種の用途において約一五〇〇表面フイート/分より大きい、また、他の用途において多分それより大きい極めて高い切削速度において、より高い耐熱性を有するむくの酸化アルミニウムの方が高度の耐摩耗性を示すであろうこと、しかし、このレベルを超えないすべての切削試験において、同発明の被覆製品の耐摩耗性は、焼結酸化アルミニウム刃物材料と実質的に同等であることが判明したこと、同発明の製品は、機械加工において最良の表面仕上げをもたらすものとして知られているむく(非被覆)の酸化アルミニウム刃物材料に品質が完全に等しいと思われる表面仕上げを生成することが記載されていることを認めることができる。右に認定の記載内容によると、第三引用例は、Cemented carbide切削植刃にガス相から酸化アルミニウム被覆を付着させることにより、耐摩耗性を増大させることができること、そのような被覆切削植刃の耐摩耗性は焼結酸化アルミニウム(非被覆)切削植刃と同等であり、これを超えるものでないことが開示されているものというべきである。そうであれば、第三引用例記載のものは、Cemented carbideの耐摩耗性を増大させるためガス相から酸化アルミニウム被覆層を付着させるもので、この被覆切削植刃は、焼結酸化アルミニウム切削植刃と同等の耐摩耗性を有するにすぎないのであるから、切削植刃の耐摩耗性はその表面層の材質に大きく依存すること(このことは自明の事実である。)を考慮すると、第三引用例をみた当業者は、焼結酸化アルミニウム切削植刃にガス相から酸化アルミニウム被覆層を付着させても、その耐摩耗性は焼結酸化アルミニウムと同等であり、該被覆の付着により更に増大することはないとみるのが通常というべきであつて、第三引用例は、焼結セラミツク酸化物切削植刃にガス相からセラミツク酸化物被覆層を付着させて、該切削植刃の耐摩耗性を更に増大させるという技術的思想を開示し、又は示唆するものということはできない。
(四) 第四引用例に本件審決認定のとおりの記載があることは原告の認めるところであり、右事実に成立に争いのない甲第四号証(第四引用例)を総合すれば、第四引用例は、本願発明の優先権主張の日前に頒布された刊行物であつて、焼結酸化アルミニウムのバイト(切削刃)の粒子の大きさと使用寿命に関する研究が記載されているところ、それには平均粒度一μm、三μm及び七μmの酸化アルミニウムを焼結して切削刃を作り、粒度が切削刃の寿命に及ぼす影響を試験した結果、粒度が大きいほど切削刃の寿命が劣つていること、しかし、粒度の小さい一μm及び三μmの切削刃は粒度の大きい七μmのものより寿命が長いが、一μmと三μmの両切削刃の間には余り差がなく、更に別の研究によれば粒度一μmの材料は脆さが増すことから、最良の万能切削刃として粒度範囲三μmの切削刃が生産されることになつた旨の記載があることを認めることができる。右認定の事実によると、第四引用例の記載は、非被覆の焼結酸化アルミニウムに関するもので、焼結セラミツクで作つた万能切削植刃について粒度三μmで作つたものを良いとするものであり、切削植刃の耐摩耗性を更に高めるために表面層の粒子の大きさを一μm以下にするという技術的思想を開示し、又は示唆するものとは到底いい難い。なお、被告は、本訴においてセラミツク酸化物の成形体はその粒子が小さいほど耐摩耗性がよいことは周知である旨主張し、第四引用例のほかに、乙第一号証及び第二号証を挙示するが、本件審決は、この点については、公知例として、第四引用例にその趣旨の記載がある旨説示しており(第四引用例に右趣旨の記載があるものと認められないことは、前段認定説示のとおりである。)、この点が周知であるとしたものではないから、本訴において右事項を新たに周知事項として主張し、その立証として、右乙号各証を提出することは許されないものというべきである。
3 本願発明と第三引用例記載のものとの間に本件審決認定のとおりの一致点及び相違点(1)ないし(3)が存することは原告の認めるところ、原告は右相違点(1)及び(2)についての本件審決の認定判断を争うので、以上認定説示したところに基づいて、この点を検討するに、まず相違点(1)についてみると、前示のとおり、第一引用例ないし第三引用例には、いずれも、焼結セラミツク酸化物切削植刃にガス相からセラミツク酸化物表面層を付着させ、その耐摩耗性を増大させることを開示し、又は示唆する記載はなく、そうであるとすれば、これら引用例に周知事項とされるセラミツク酸化物もCemented carbideも切削植刃として用いられていることを総合しても、焼結セラミツク酸化物の切削植刃の耐摩耗性を更に高めるため、その表面にセラミツク酸化物表面層をガス相から付着させることを当業者が必要に応じて容易に考え得るものとすることはできない。被告は、基体、被覆材料につき、セラミツク酸化物とCemented carbideのいずれの組合せでも、焼結成形体よりも蒸着被覆層の方が耐摩耗性が高い旨主張するが、被告の指摘する第二引用例及び第三引用例には、前認定のとおり非被覆焼結セラミツク酸化物よりも耐摩耗性の高い被覆成形品が示されているわけではないから、右各引用例の記載から焼結成形体中耐摩耗性のより高い焼結セラミツク酸化物よりも蒸着被覆層が耐摩耗性が高いとみることができず、したがつて、被告の右主張は採用することができない。
次に、相違点(2)についてみると、前認定説示の第四引用例の記載内容等に徴すれば、焼結セラミツク酸化物切削植刃の表面(被覆)層の平均の粒子の大きさを一μmより小さくすることが、第四引用例記載の技術に基づいて当業者が容易に考え得られた程度のこととは到底認められないし、また、第四引用例に基づいて、本願発明の顕著な作用効果である被覆切削植刃の使用寿命の延長を当業者が容易に予測することができたものということもできない。
4 そうであるとすれば、本願発明は、第一引用例ないし第四引用例記載のもの及び前記周知慣用技術に基づいて当業者が容易に発明をすることができたと認めることはできず、したがつて、本件審決はその結論を誤つたものといわざるを得ない。
(結語)
三 以上のとおりであるから、その主張の点に判断を誤つた違法のあることを理由に本件審決の取消しを求める原告の本訴請求は、理由があるものということができる。よつて、これを認容することとする。
〔編註〕 本願発明の要旨は左のとおりである。
切削植刃がガス相から付着させたセラミツク酸化物からなる薄い表面層を有し、表面層の平均の粒子の大きさが一μmより小さく、表面層の厚さが〇・五~一〇〇μmであり、切削植刃の平均の粒子の大きさが二μmの最低限界を有することを特徴とするセラミツク酸化物より本質的になる切削植刃